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flower syndrome Reconciled Identity
『第二節-紛れ込む影』

 夜中の午前零時頃に橘は一軒家の自宅に到着した。少し前の出来事を思い出す。飲み会の後大学の研究室へひるがえし、研究中の資料や学生のレポートをカバンに詰め込んだ。ふと目に留まるものがある。様々なスケジュールが書かれたカレンダーだ。違和感を感じる。スケジュールの内容や、カレンダー自体に変化があるということではない。もっと本質的な何かがいつもと違うことに気付いたのだ。しかしそれが何なのかは分らずじまいで、橘は研究室を後にしたのだ。

 出来事を振り返り終わると、玄関のドアを静かに開ける。玄関の室内灯は点いているが、その先の部屋は暗闇である。真っ先に二階の自室へと向い、荷物を机上いっぱいに広げる。部屋の白熱灯を灯す。太陽と変わらない橙色の暖かな光は、静かに確実に降り注いでいる。部屋の周りは高い本棚で覆われており、書類や書物がその中から滝の様に溢れている。

 回転式の使い古した椅子に座り、学生の夏休み前のレポートに一通り目を通す。橘にとってレポートの内容自体には全く無関心だった。レポートという課題を作成したのは自分自身であり、その答えは解り切っている。求めるものは授業の理解ではなく、友人のレポートを模写をしていないことなどの個々の態度であった。しっかりと自分の意見がレポートに綴られていればそれで良いのである。今年はそれに反する学生はいなかった。

 時計を見ると午前三時を回っていた。体感的には二十分程度のはずだが、このようなことはよくある事だ。背伸びのストレッチをすると同時にインターホンがけたたましく、鳴った。心臓を貫かれるような衝撃と、ストレッチの快感を阻害されて起こる不快。頭髪が逆立つ。

「なんだって……」

 地響きするような低い声で吐き捨てた。こんな時間に『用事』がある人間はたかが知れている。ドカドカと階段を踏みしめながら降り、玄関のドアを開けた。誰も居ない。ドアを全開にし、橘は目をナイフのように鋭くちらつかせながら周囲を見渡した。誰も確認できない。ひたすら静かな闇が、すべての生物を丸呑みにしていた。



 今日もうなる様な暑さが杉山晃氏を苦しめていた。白いワイシャツに汗をにじませ、額の滴る汗をハンカチで拭っている。そこらじゅうで喚き散らしているセミが憎たらしい。セミは命を育てる為に命を燃やしている。その熱は音として伝わるが、関係の無い僕たちまでも聞かなければならないのだ。足を踏み鳴らすたびに汗は滴る。腕を振りかざすたびに、セミへの憎悪は増す。昼の炎天下。杉山は避難した。

「いらっしゃいませー。ご注文をどうぞ」

「んー、じゃあとりあえずアイスコーヒーをひとつ」

 杉山は昼食を取るために近くのファミレスへ入店していた。やはり別世界である。店内の客がクーラーで涼むために居るとしか思えない。あっという間に注文したアイスコーヒーが無くなった。注ぎ足しをしようとドリンクバーへ向った。コーヒーメーカーの前には幼い先客が二人居る。その二人の後ろへ杉山が立ちどまると、片方の女児がちらりと杉山を気にした。拒絶の眼であった。杉山は思わず視線を外す。ゆっくりと元の場所へ視線を戻すと、先ほどまで居た二人が蒸発していた。こどもはすばしっこいからなあと、さして気にせずに自分のコーヒーを注ぎ始めた。

 翌日、杉山の目的地は郊外の住宅街にあった。そこは他社の勢力があまり及んでいなく、業績の差をひらくための恰好の狙い目である。今日は昨日とうって変わって風もあり涼しい。心地よい太陽の日差しもあり最高の夏だ。ここの住宅街は丘になっており、もう少し上へ登れば緑の豊富な隣町全体を見渡すことが出来る。そう考えていると、ひとつの家の前に着く。表札には阿部と書かれている。呼び鈴を鳴らすと、70歳後半の人の良さそうな老婆が玄関から出てきた。

「はい。なんでございますか」

「私は保険会社のものですが、ちょっとお話をうかがいたく……」

「はい、はい。ありがとうございます」

「え? あ、じゃあ少しお時間を――」

 杉山の言葉を無視するかのように老婆は軽く会釈をした後、すたすたと家の中へ戻っていった。勧誘の新しい断り方なのか。それともボケているのか……。杉山はあきらめ切れず、再び呼び鈴を鳴らす。しかし何度呼びかけても姿を現すことは無かった。その後、辺りの住宅を手当たり次第訪問するが、留守が多く何の収穫もなかった。杉山はようやくこの場所の人気の無さに気付いた。それでもなお諦めることなく、一番奥手にある住宅へ最後の訪問をしに向う。

 その家の正面に、家ひとつ分あるような雑木林がある。夕方近いためか、そこからヒグラシやマツムシも鳴いて聞こえる。家にたどり着くと杉山はあ然とした。雑木林が邪魔してよくみえなかったのもあるが、それを『家』と呼ぶよりも『家のような場所』であった。目先は完全に緑に遮られており、進入するのも難しい状態である。

「きっかいな所だなぁ……」

 杉山は口をあけたまま首をかしげた。視線の先にあるクヌギの幹に黒い物体が張り付いている。まさか。そのまさかの大きなヒラタクワガタだったのだ。杉山の眼はみるみるうちに生気が帯び、饅頭のようにほほを張らす。良く見ようと近くまで歩み寄ったが、警戒したクワガタは飛び去ってしまった。

「萌花、それじゃムシさんは逃げちゃうよ」

 突然、男の声が背後からやさしく響いた。身近に感じる音圧、音量。驚嘆した表情で音のあったほうへ振り向くが、そこには風景だけが待ち構えている。見かけによらずの軽いフットワークで周囲を見渡す。人ひとりいない。ますますきもちわりい。ユウレイとかじゃないよな? 杉山は歯を食いしばる。言葉の内容よりも、あのねちっこく甘い声が背筋でうごめき続ける。なんだ。今日も相変わらず蒸し暑い。



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