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flower syndrome Reconciled Identity
『第一節-安らぎの後』

 2013年7月、今年も例年より蒸し暑い。数年連続で各地で猛暑である。熊谷では今年最高の40.7度を記録した。熱中症で病院に担ぎ込まれる患者は後を絶たない。7月中旬現在、すでに関東圏内の老若男女85人が、前代未聞の異例と言える熱波によって尊い命が奪われている。この酷暑に、冷房による電気使用量もうなぎ上りで上昇している。カキ氷屋は嬉しい悲鳴をあげるが、同時にかき氷機の苦痛の悲鳴でもあった。都市部の道路では熱源を少しでも少なくしようと、クーラーの温度を節制したり、エコカーの普及運動を催した。さらに関東最大規模と言われる矢木沢ダムの総貯水量がこの猛暑の影響で著しく減少し、一時は全域で夜間断水を設けるなどの対策が施された。

 東京都内の某大学病院は天気のせいもあって慌しさが終日絶えない。しかし離れに有る個室では何事もなかったかのように閑静である。802号室の個室に今まさに昏睡状態から目覚めた男が安静していた。

 男は何もない渇いた白濁の天井を見つめていた。状況を判断する気力はないが、不思議な安堵感があった。安心すると同時に男は再び眠りについていった。次に男が目覚めた日は翌日の昼頃だった。ちょうど看護士が様子を見に来ていたところで、男が目覚めている事に気が付くと優しく声をかけた。

「南野さん。お体の具合はいかがですか」

 南野は唇だけを小さく震わせた。瞳を潤ませながら看護士は二、三度それに応えるようにうなずく。看護士は窓際に寄り、日差し避けのカーテンを引きながら「今日も暑いですねぇ」と言った。窓から臨める外庭の木陰では、車椅子の少年が見舞いに来た友人と一緒に走り回っている。周辺にはリハビリを兼ねて散歩道を歩む翁や、本日退院の働き盛りの壮年が看護士や友人に見送られていた。南野の眼は光の差す方向に多少向けられていた。そしてその眼には光への欲望を覗かせていた。看護士はその事に気付くはずもなく、南野にまたきますねと声をかけ部屋から去って行った。

 それから数日後の早朝に南野は静かにこの世と別れを告げた。死因は自然死である。彼のリビングウィルに基づいての措置であった。当日は打って変わって珍しく涼しい一日で、これが一種の原因だったのではと院内で噂が立つが、不謹慎であるため噂は心の奥底に投げられた。南野の身寄りは根絶しており、葬儀を取り持つ親族がいない。そのため病院の関係者やその他の人間だけで小さな葬式を行った。無事式が終わった後、食事の席のことである。式に居合わせていたひとりのワイルドな三十代の男が隣の男性看護士に話をかけた。

「南野さんは何故親族がいなかったんだろうねぇ。他人が首を突っ込んで良い話ではないのかもしれないが……」

 それを聴いた看護士は少し戸惑いを表したが、ささやくような声で話し出した。

「あくまでも他人から聞いた噂ですが、南野さんのご親族は皆――」

 看護士は言いかけたが、上司に呼び出されて後でまた話しますと言い残して場を去っていった。悔しい表情で見送るワイルドな男の側に中肉中背の中年男子が座ってきた。

「はじめまして、今日はお疲れ様です。あ、私はこういう者です」

 随分酔いが廻っているのか、もたついて名刺を取り差し出した。ワイルドな男も名刺の交換に応じる。酔っている男の名は杉山晃氏(すぎやまこうじ)というらしい。肩書きは某保険会社の営業部長のようだ。保険会社の人間というだけで何らかの陰謀を感じ取ったが、男はそんなものを顔に滲ませるようなヤワではない。

「へぇ〜農大の教授さんですか。たちばな……」

「たちばなまことです」

「橘真人さん! はい、はい。馬鹿だなあ僕は」

 橘は植物の品種改良を主に研究していることや、杉山は趣味で昆虫の研究を行っているということを話し交えた。お互い腑に落ちない点がひとつだけあった。南野とはどんな関係であったかということだ。しかし疑念は話し合う内に即打ち砕かれた。南野と同じ会社で働いていた杉山、橘は大学生時代の同期だったという。話がまとまりだした頃に、先ほど席を立っていった看護士がようやく戻ってきた。

「あの……すみません、話の途中で……それでさっきの話のことなのですが」

 看護士は橘へぐいと近づき細々とささやいた。

「行方不明なんです。南野さんのご親族全員がいつのまにか失踪していたらしいのです。」

 橘と杉山は理解しがたい表情をちらりと覗かせたが、間もなく真剣な顔を取り戻していった。杉山は脂ぎった額を汗と一緒に腕で拭った。手に持つハンカチはすでに水浸しである。これはただものじゃないと本能的に感じ取っていた。

「その話を誰から聞きました?」

 心当たりがあるかのように橘は看護士に訊ねた。すると看護士はせわしく首を傾げ、独り言をぶつぶつを言い出す。

「あの、忘れてしまいました。昨日まで覚えていた気がするのに……」

「そんなに影が薄い人なら拉致でもなんでもできちゃいそうですね」

 杉山は小さく笑いをこぼしながら言った。それを聞いて橘は冷静に怒りをあらわにする。

「影が薄いという問題じゃない」

 橘はまっすぐ前を向いているが、杉山は目を合わせることができなかった。

「確かに妙な事にちがいないが、個人的な問題に俺が首を突っ込む必要もない。噂が事実だとしても、人づてに伝播するうちに誇大になっていくしね。人の不幸をいじくることはやめておこう」

 橘はそう言いつつも胸の奥底では、踏み入れてはならないブラックホールにも似た暗黒が渦巻いていた。



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