第七話/たったひとつの宝物
エプシロンは国防総省長官ベテルの安全の確保という任務を遂行していた。ベテルの演説の帰り道、VIP専用道路の前方に黒い人影が立ちはだかっていた。
秘密暗殺団体『エゴ』。名前は有名だが、その実態は謎に包まれている。彼らがベテル車両の前に立ちはだかる。突如一斉にマシンガンを撃ち放ち、黒光るリムジンを鉛銃弾の嵐が襲う。ベテルは本能的に頭を両腕で抱えて前かがみになるしかなかった。隣にいるSPが不気味に微笑んだ。
「予定通りだ。やはり俺の考えはトゥルーじゃねえか」
射撃によってリムジンのタイヤがパンクし、横転。止まるや否や、その男は勇敢にドアから飛び降りる。暗殺集団は躊躇せず地に降り立った男を自動小銃で掃射した。その殆どをSPは受けとめ、鮮血がおろし立てのスーツに滲む。それに伴い彼はわざとらしく倒れ、そして銃声はやむ。
「んなくらいじゃ、俺は死なねぇよ。抹殺したかったら戦車ぐらいでも用意しやがれ」
彼は勢いよく跳ね起き、腰元からソーコムピストルを引き抜き、数発暗殺者たちに発砲した。死なねえ。その言葉はオウム返しされたのだった。
「はは。てめぇらもBCMだったのかよ」
暗殺者の一人は計器を用いてあることを確認した。
「コード番号エプシロン。……やつはエプシロンだったか。」
エプシロンは奥にあるビルの屋上に、暗殺者がレールガンで俺に狙撃しようとしているのを確認して叫んだ。
「ちまちまやってんじゃねぇ! 男なら正々堂々とやれ!!」
レールガンは発射されようとしている。任務、ベテルを守れ。任務失敗したら俺は完全に抹消される。レールガンはどこへ放たれようとしている? 随分とベテルから離れてしまった。計算であと15秒で充電完了しアレはくる。周りに無駄な労力を費やす反社会的BCM10人。よし。エプシロンは一人の暗殺者に悠然と近づき、そいつの頭を鷲掴み、レールガンに向けて力強く投げつける。
「幾つも無関係な生命殺してんだ。死んで償えや」
「てめぇらもだ」
横にいる二人をさらに掴み、ロケットの燃料として用いた。掴まれた二人は体内全てのATPを爆発させ、その推進力はエプシロンの糧となり、瞬時にベテルのいる場所へと向かえた。うまく着地できなく転がりながらも体勢を取り戻す。
「ベテル長官。あんたには生きてもらわないといけねぇんだ。荒業ですまんが避難してもらおう」
余ったATPをさっきの要領で安全そうな所へと旅立ってもらった。レールガン発射。
「あとはと……」
青白い光はエプシロンめがけて放たれている。エプシロンは逃げ遅れた暗殺者を掴む。
「俺の代わりに受け取っとけ」
「ヒ、イヤ……!」
「まぁ、遠慮すんなって」
暗殺者は死に際に思った。エプシロン、お前こそ真の暗殺者だと。エプシロンは暗殺者を盾にし、難を回避した。光が地についた瞬間大惨事になったことは言うまでもない。
身にしみるほど冷たい風が夕日に吹き付ける。それに映えるエプシロンの光景はまさに紅かった。エプシロンにどっと疲れがのしかかる。ふらふらとベテルに近づく。彼は打撲を負ったものの自力で立ち上がった。
「まさかBCMに助けを受け、この私を救ってくれたことに感謝する。ありがとう」
エプシロンの疲弊した眼の奥には計り知れない何かがあった。
「うぬぼれるな。これは任務だ。任務だからこそ本当はどうでもいいお前さんだけを助けたんだ。本心はお前さんのように良い生命をひとつひとつ大切に保護したかった」
「あなたが人間らしい優しさを持っているとは……驚きだ」
あっけに取られたベテルをよそに、エプシロンはベテルの発言に苛立ちを募らせた。
「それがあんたの本心か。何がBCMと人間の共存だ。友好だの和解だの綺麗事ばかり並べて、なにひとつ俺たちの気持ちなんて理解しようとしてねぇ。こりゃリーダー自体が偏見してんだからどうしようもねえな」
「す、すまない。失言なのだよ……!」
謝って済む問題じゃない。世界には既にさまざまな理由で俺たちのような戦闘型のBCMを除く数百程のBCMが存在している。BCで生成された細胞や内臓を手術などで埋め込まれている人だっているんだ。たったそれだけで偏見する。そんな必要ないじゃないか。かたい脳みそや腐った眼を維持する限り、何も解決できないのは目に見えている。郊外でタクシーを呼び、ベテルを見送りエプシロンも夕闇に融けて行った。
BCM研究所所長は生物省と同罪とみなされ、懲戒免職を受け追放された。秘密的に計画されてきた『例の計画』は事実上この世から抹消された。シリウスが居なくなった今のBCM研究所の時期所長は、副所長ローしかいない。何かとローは評判が悪い。2年前に起きた塩化水素大気流失事故を例にあげてみよう。
彼は誤ってフィルターが作動していないまま、さらに誤って大気に破棄塩化水素を大気に漏らしてしまったのだ。他にも数例ほど過ちを犯している。そんなローでも代理所長を任せるしかない。月面にあるBCM研究所本部で開かれる所長適正選出会議が催されるまで「代理」所長として責任もって務めてほしいものだ。
着任したばかりのローは所長室には入ると、鼻を覆いつまんで言った。
「こんな脂臭い所でしたっけ、この所長室は?」
側近が返答する。
「しばらくここで我慢してください。正式に任命されればこの部屋とはオサラバですから」
「所長……いい響きだ。ふふ。決まっているさ、絶対に私だ」
「は、何がですか?」
「所長は私だ!」
ローは少々精神症も患っている。たまに意味不明な言動を取る。彼の大きい目は見開いてぎょろぎょろしている。側近はおもむろに精神安定剤を取り出し、ローに飲ませた。落ち着きを取り戻すと彼は老人のようになってしまった。
ローが代理所長に着任して五日目の朝、怪しい男が研究所正門あたりで徘徊しているのを警備員が捕まえた。その怪しい男は小さい声で言った。
「返すのだ……私の生きる希望を返せええええ!」
ベータがちょうど早朝ランニングをしていて、聞き覚えのある声を聴いてふと思った。ベータの視界に男の姿が映った時は、既に護送車に詰め込まれて送還されようとしている所だった。
「がえぜえええ!」
男のかすれ声が響く。ベータは確信した。
「……お父さん?」
駄々をこねる子供のように暴れるシリウスを見て失望してしまった。みすぼらしい姿と化したシリウスの目に心配顔したベータが映し出される。
「べ、ベータ。かか帰ってきてくれたのか? 放せ。放せといっているだろうが!」
何かにとり憑かれるかのように、狂気に腕を振り解き、外へと飛び出そうとする。
『ベータ……好きなアールグレイでも飲もう』
『うん!』
『ねぇ、お父さん』
『なんだい、ベータ』
『お父さんって偉いんだよね、強いんだよね?』
『心配しなくていいよ。お父さんはベータが思っている以上に強いさ。ほら、高いたかーい』
『あはは! お空飛んでる私!』
『ほら冷めないうちに、紅茶飲みなさい』
その紅茶は秋の景色そのものだった。紅葉の紅、落葉、土、夕日、銀杏、人、こころ……。暖色なチェック調のクロスに白い皿。目の前には言葉には言い表せないほど笑みをこぼす父。絶え間ない温度。ねえ、時間は戻らないの? ねえ、もう一度笑おうよ。その存在が私の近くに在るだけで幸せに感じるんだからさ。淡い記憶ほど今の私を巣食う。思い出すほど胸が苦しくて……苦しくて。湧き水は必ず海を目指している。どんなに分かれ道を作ったり道が細くなっても、いつかは川となって合流する。その途中で色々な存在と出会うんだよね。小石、葉、魚、微生物、空気、音、ゴミ。ゴミという障害、汚染物はどんな事にも存在する。弱く儚いものほど裏切られた時は深く傷つき、一生その傷は癒されることなく苦しめ続ける。
「もう、お父さんはお父さんなんかじゃない……」
護送人を引きずりながら、ゆっくりと近づいてくるシリウスに、ゆっくりと後ずさりするベータ。しかし再度車へと詰め込まれた。シリウスは満足したのかこれといって反抗しなかった。あんな風になった父を見たくなかった。黙って車を見送る。そして無感情にベータはまた走り出した。
しばらく走っていると、ベータの前にローの側近が現れた。
「ロー所長がお呼びです。ついて来てください」
ベータは黙ってついていくと、途中でアルファを見かける。芝生の上で寝転がっている。どうでもよかった。研究所内に入りエレベーターに乗り継いでちょっと歩くと、ローの待つ第二会議室へと到着する。
「さあ、お入りください」
「私一人で?」
「大丈夫です。お入りください」
ベータは不信感を抱きながらも、慎重に部屋へと入室した。前方には光の差す外を見ているローがあった。
「何の用でしょうか?」
くるりとベータの方へ向き返し、き然と喋った。
「何のようも無いさ。ただ君の顔を見たかっただけのことよ」
ベータは何も考えず立っている。白い時が流れ始める。一分、二分、三分……そして五分経った時、静かにローは口を開いた。
「シリウス博士が居なくなって寂しいかい?」
静かとはいえ、急の音。ベータは体をびくっとさせた。
「悲しいとか寂しいとかの問題じゃありません。あのようになってしまったシリウス博士は今の私にとって透明な『殻』です」
ローはそのことを聞いて、にこやかな顔に変化し、拍手を送った。
「素晴らしい。比喩表現だね。分かりにくいところが特にいい。立って話すのもなんだ、椅子に座って話さないかい?」
本当は帰りたかった。だけど空気が私の足を止めていた。
「じゃ、ちょっとだけ……」
突如アルファが乱入してきた。
「ベータ、そいつから離れろ」
「えっ……」
「アルファ君。意味がわからないよ。何でだ、何でだっ!」
発狂したかのように絶叫するローを見たベータは、初めて感づいた。
「こいつは頭がおかしい。何かされる前に今すぐ消さなければならない」
アルファの背後に拳銃を持った側近達がアルファを狙っていた。
「アルファ、後ろ!」
「何だ――」
掃射。全ての弾を余すところ無く受け取ってしまった。彼の鮮血がベータの全身に降り注いだ。アルファは地に伏せ、ぴくぴくと痙攣しつつ気を失った。ローはアルファに指をさして怒鳴った。
「はは! てめーBCMだからこれくらいじゃ死なないと思うが、この俺にたてつくんじゃねぇ!」
ベータの眉間にしわがよる。意味無いことはしないで……意味無いから!
「人間なんかじゃない!」
ベータはローの頬を張った。ローは数秒フリーズしたあと、ゆっくりと体勢を戻し頬をさする。
「いってぇー。女に打たれたのこれで何回目かな。100回ぐらいかな。皆俺にたてついた。何でかなー。何でだあああああ!」
頭を激しく左右に振らす。余りにもおぞましく、ベータは血の気が引いた。ふとアルファの事を思い出し、必死に声をかける。
「大丈夫、大丈夫? しっかりしてアルファ!」
ハーフのBCMは純粋のBCMと比べて再生回復が遅い。アルファは意識は朦朧としていた。
「あ……俺は、大丈夫……」
アルファの頭は重力に引かれた。
「私……他人はもちろん自分の痛みさえ感じ取れない。だけど今日のお父さんのことやアルファのことでなんとなく分かった気がする。」
気を失ってしまったアルファに無表情でベータは問い掛けた。ローはしばらく渋い表情で黙視している。
「そしてアルファが痛みを感じ取れることにすごく憧れる……」
思わずベータはアルファを抱きしめた。
「大丈夫だといっただろ! もう自分で歩けるから、離せ」
「……血、流しすぎた」
ふらふらしながら医務室へ歩って行った。ベータも次いでとぼとぼとついていった。
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